仮に地元に帰るために研究活動を頑張るとする。 その場合の内発的動機は研究がやりたいではない。
彼女と一緒に明るい未来を過ごすため。や 親族や家族に囲まれながら安心して暮らすためになってしまう。
これはどうゆうことかというと自分の人生を生きていないとも捉えることができる。 その中で休日はサーフィンとかということで調和をとることは可能ではあるが。
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100万回生きた猫という本がある。 この本はどうやら自由奔放に生き、死んでは生き返りを繰り返していたらしい。
だが、100万回目の時に死んだらしい。 どうやら自分のことだけが大好きだったねこが本当の愛を知っていくというストーリーである。 100万回目の時に自分より好きな他の人を見つけたからである。
なんて素敵なお話なんだろう。 あらすじしか見ていないが
自分より好きな誰かがいることはとても幸せなことであることを表現しているのではないのか。 この話は繋がる部分がある。
The Good Lifeという幸福について縦断研究を行っている本がある。 この本で最も幸せそうであったとされているのが教師のA(名前は忘れた)であった。 Aは家族を思いやり、家族のために生きることに喜びを感じていたらしい...
このAというのは他人に注意を向けて生き続けているようにみえる。 だがこの本ではAが最も幸せそうだったと書いている(はず)
あと、注意を向けることは愛の基本形とも書いてあった。 これは他人に関心を向け気づいてあげることだと解釈する。